JOCA連載コラム vol.11

大震災を経てあらためて安全を考える

JOCA 理事 竹内 宏規

東北を中心として、形容も出来ない規模の地震・津波・原発事故が起き、3カ月が経と
うとしています。 大地震、大津波という不可避の天災とともに、原発の放射能漏れと
いう、長期に渡り生命と環境に影響を与え続ける深刻な事態が進行しています。
小欄はオーガニックコットンに関わるリレーコラムながら、被災された多くの方々に思い
をいたし、あらためて「安全」とは何であったのか、オーガニックの原点を見つめながら
考えてみたいと思います。


「・・・暗い影がしのびよった。今まで見たことも聞いたこともないことが起こりだした。
若鶏はわけのわからぬ病気にかかり、牛も羊も病気になって死んだ。どこへ行って
も、死の影。農夫たちは、どこのだれが病気になったというはなしでもちきり。町の
医者は、見たこともない病気があとからあとへと出てくるのに、とまどうばかりだった。
そのうち、突然死ぬ人も出てきた。何が原因か、わからない。 自然は、沈黙した。
うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な
予感におびえた。春が来たが、沈黙の春だった。」

これは、50年程前、当時蔓延し始めた有害化学物質の危険性に強い危機感を抱いた
海洋生物学者レイチェル・カーソンが、このような悲しい春を迎えることがないようにと、
深い思いを込めて世に出した「SilentSpring/沈黙の春」の冒頭の挿話です。
わたしたちが関わる「オーガニックコットン」の考え方も、棉の栽培に使用される大量
の農薬使用問題が発端にあり、この警告の書が運動の原点の一つとなっています。

レイチェル・カーソンは、放射性物質や、殺虫剤を中心とした有害化学物質について、
「有用なものでありながらも、同時にまた人間の生命そのものをも脅かす最も強大な
災いのもとである。」と指摘しています。 すなわちわれわれ人間が創り出した物質で
ありながら、一つ間違えばコントロール不能となり、生命環境に拡散・堆積する、目に
見えない最も危険な物質であると、米大手化学企業などからの猛烈な批判と中傷に
さらされながら、その危険性を世に伝えているのです。

現在に照らしていえば、例えば資源のない日本にあってCO2を排出せず大量の発電
を行ってきた原発も、狭い国土に多くの農産物をもたらしてきた農薬も、大変に有用で
あったことは間違いのないところです。 しかし、取り扱いに問題が生じたり、未解明な
部分で問題が生じれば、時に人間の手に負えなくなる大きな危険性を孕んでいる点に
おいて、しかもそれが常に人間の側に起因する安全問題である点においては、50年前
も現在もほとんど変わるところがないのではないかと思います。

震災を経て「安全」というものを捉え直さなければいけない時期に来ていると考えます。
原発問題を例にとれば、放射性廃棄物の処理問題を含め、「絶対に安全」とは言い切
れないものを「使い方さえ間違えなければ安全」と言い代えることで、また経済合理性
という相対性の高いフィルターを掛けることで、「人命に関わる安全」の概念そのものを
不安定かつ不透明なものにしてしまってはいないでしょうか。 そして状況に合わせて
安全基準の数値を変えることで「固定化された物差」であるべき安全基準の本質をも
歪めてしまってはいないでしょうか。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告によれば、地球温暖化によって自然
災害はますます増加し巨大化する可能性が高いことが指摘されています。
それは、とりもなおさず人間の経験値を超える災害が常に起こり得ることを意味します。
ゆえに、「経験値を超える自然災害とそこから派生する事故は常に起こり得る」ことを
前提にしながら、軽度の段階からまさに最悪のケースまで、全ての段階の予想リスク、
予防対策、事後処理を、経費的な裏づけを含めて設定する必要があると考えます。
リスク開示もきわめて重要で、人命に関わるコト・モノについては、全てのリスクを全て
の関係者に、公的性格を持つ場合や不特定多数を対象とする場合は第三者開示を行
い、何時でも誰でもその情報に接することが出来るようにしておくことが求められます。

リスク開示の事例を、人の命と健康に関わる医薬品というモノの場合で考えてみます。
同封される添付文書には、必ず「使用上の注意」として副作用をはじめとしたあらゆる
リスク開示と対処指示が何十項目にもわたり列挙されています。 リスク開示はすべて
の製薬会社に義務付けられており、それでもなお「想定外」の副作用が出現したなら、
その想定が出来なかった製薬会社の責任は重く、それを認可した国も責任を問われる
という図式になっています。 ゆえにこそリスク開示は損得や建前のためなどではなく、
消費者を守り製薬会社をも守る、大変重要な意味を持つものとなっている訳です。

このような厳しいリスク開示形態に変化したのは、FDA(アメリカ連邦食品医薬品局)の
医薬品管理システムを取り入れたことに拠りますが、FDAそのものがこのような形態に
変化をしたきっかけは、「沈黙の春」に大いに心を動かされた大統領ジョン・F・ケネディ
が、農薬や医薬品の審査を厳格にすると同時に、リスク開示をする体制作りを指示した
ことに拠っています。 また、ケネディはその年の議会教書で Consumer Bill of Rights
(消費者権利宣言)を発表し「消費者の安全を求める権利、知らされる権利、選ぶ権利、
意見を反映される権利」の4つの権利を国が保障するという重要なステートメントを残し、
その後の「消費者保護」の考え方の基礎を築いたといわれています。

あらためて日本の「安全」を概観してみますと、人命に関わるコト・モノといえども、分野
によって状況に大きな差があることに気づきます。 すなわち、リスク開示を義務付ける
など比較的進んだシステムを持つ分野と、「安全」を標榜しつつもリスクの実態を明らか
にしない、いわゆる「寄らしむべし知らしむべからず」という「お上」の発想のままの管理
手法の分野などに分かれるのではないかと思います。 そしてその差が欧米の考え方
や欧米のシステムの導入の有無の差であるなら、それはあまりにも残念なこと、と言う
よりも、わたしたちひとりひとりが自らの頭で考え判断して来なかった「ツケ」というべき
ものであったと考えなければいけないように思います。

この大災害を経て今まさに問われているのは、わたしたち自身の理性と倫理観であり、
ひとりひとりが安全意識を変え、エネルギー観を変え、自らのライフスタイルに反映して
ゆくことが重要なのではないかと考えます。
3.11を経験し共有することによって、個のひとりひとりが変わらなければいけない。
個が変わり、社会が変わり、国が変わらなければ、この未曾有の数えきれない犠牲
に報いるすべが無い。 そんなふうにいま思っています。

<参考文献>
レイチェル・カーソン「沈黙の春」 2001年新潮社刊 (1962年米国)
レイチェル・カーソン日本協会編「沈黙の春を読む」 1992年4月かもがわ出版刊
柳澤桂子「いのちと放射能」 2007年9月 筑摩書房刊
小出裕章「隠される原子力 核の真実」 2010年12月 創史社刊
辺見 庸 「日常の崩壊とあらたな未来」 2011年3月16日北日本新聞朝刊
室崎益輝「被災地からの緊急報告」 2011年5月7日報告会