JOCA連載コラム vol.18

日本の綿作りリレー

JOCA副理事長 渡邊 智恵子

今の綿の栽培のブームは実は兵庫県西脇から始まりました。

1999年に西脇市に始めて訪問しました。昔から先染め織物の産地であった西脇でしたが、
ほとんどが中国に持っていかれ、街全体が沈んでいる時で、それを何とかしたいのでアイデア
が欲しいと当時の我が社の生地を作ってもらっていた機屋さんからの依頼があったからです。
今でいう町おこしの依頼を受けたのです。
インテリアデザイナー兼建築家の方とテキスタイルデザイナーと私と3人で伺いました。
西脇は家内工業がそのまま街を形成しているのが非常に明解に分かる街並みで、隣近所が
すべて機屋でした。それぞれの機屋では長年特徴ある先染めのチェック柄やストライプの
生地を作っていました。いわゆるシャツ地の産地なんです。
私たちの提案は2つにいたしました。

一つは
各それぞれの家、工場の壁面にそれぞれの特徴あるチェック柄を描く事でした。
街並みがチェック柄の壁画を持って統一感を出し、またそれぞれの工場はそのチェック柄に
誇りを持てる事になるでしょう。街を訪問した人たちにとってはそのチェック柄にまつわる
エピソードを知ることが出来、その工場で生地も買えるわけです。
街全体が一つの観光都市になれるのではないかと考え、提案をしました。

もう一つは
綿ばたけであります。
家で作っている生地のルーツ、原料を作ることです。その当時、お米の減反政策真っ只中で
ありました。田んぼがいっぱい耕作されずに放置されていました。いわゆる耕作放棄地が
たくさんあったのです。それを活用し綿の栽培を提案したのです。
その当時から後継者が育たないことが悩みの産地でもありました。今現在を運営している人
たちが自信を持って、誇りを持って仕事をしてくれないと、後継者は育たないです。それは
当たり前のことであります。日本の農家が若い後継者がいないのも、父さん、母さんが農業に
誇りを持っていないからです。それは国の政策そのものがお大きく影響をすることは確かですが、
打つ手は無限であります。
そんな私たちの思いがありました。

この2つの提案のうち、綿の栽培が受け入れられました。

西脇ではまず一反から始まりました。保育園や幼稚園の子供達がタネ植えをして、草取りは
お年寄りの仕事にしてくれて、街全体で綿の栽培に取り組んでくれました。
市の農政の方の積極的な関与も大きな支えでありました。

ここからコットンボール銀行が発足し、今、全国に綿の栽培のブームを作ったのです。

つづく